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72件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2007-04-11 第166回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号

すべての地域に、先生指摘のとおり、大学とか高専があるわけではございませんので、そういう場合には、浜松の地域東北大学金属材料研究所がやるとかあるいは九州大学のどこかとやるとか、それは当然起こり得ることでございまして、我々、そこは十分配慮してやっていきたいというふうに考えております。

福水健文

1999-12-14 第146回国会 参議院 中小企業対策特別委員会 第9号

それで、いろんな大学で、例えば、私たちもちょっと参加させてもらっているんですが、京都大学は、バイオマス研究会といって、企業を含めて自分たちはこういうシーズを持っているよと、そういうものをやっておりますし、東北大学金属材料研究所というのは、ある先生なんかは過冷金属と、結構世界的にも先端的なんですが、そういうのをわかりやすく、企業を集めて研究会を三十社ぐらいでつくってこういうシーズを提供すると。  

河野通忠

1999-06-03 第145回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会 第11号

あと、大きいのは、通信総合研究所四百二十四、航空宇宙技術研究所四百二十八、金属材料研究所四百十七、国立予防衛生研究所四百十。  これを見ていきますと、五百以上が二カ所、三百から五百が十一カ所、二百から三百が十七カ所、百から二百が十八カ所、五十から百が二十カ所、五十以下が十二、こういう状況です。  ところが、世界研究所は一体どれだけのスケールを持っているか。

近江巳記夫

1996-06-13 第136回国会 衆議院 科学技術委員会 第7号

もちろん、もう漏えいしたナトリウムは取り除かれておりますし、想像している以上に、漏れたところの、三十センチばかり堆積したというのですけれども、その範囲は小規模でありましたし、また、破断をさせて金属材料研究所なりあるいは原研の方に持っていかれておったのでしょうけれども、その現場を見まして、私はこの種の事故というものは、事故というかトラブルというか、何という表現がいいのか、結局事故という言葉になるのでしょうけれども

後藤茂

1995-02-07 第132回国会 衆議院 科学技術委員会 第1号

防災科学技術研究所及び金属材料研究所研究者が、十九日から二十二日にかけまして、被害の実態等の地上の調査実施をいたしております。また、防災科学技術研究所及び通産省工業技術院地質調査所研究者が、二十日から二十一日にかけまして、航空宇宙技術研究所が所有をいたします航空機「ドルニエ228」を活用いたしまして、航空写真等による現地上空からの調査実施をいたしております。  

沖村憲樹

1992-03-26 第123回国会 衆議院 科学技術委員会 第4号

長田政府委員 今、最初に申し上げました例で申し上げますと、プラット・アンド・ホイットニー社から熱応力緩和のための傾斜機能材料開発についての問い合わせ等がございまして、当方では東京大学とか金属材料研究所とか、いろいろそういうところと話し合ってみたわけでございますけれども、そういうパテントの問題もありましてなかなか国際共同研究ができなかった、こういうことでございます。

長田英機

1988-05-18 第112回国会 参議院 土地問題等に関する特別委員会 第5号

この会社の代表者広根徳太郎という方でございまして、東北大学金属材料研究所教授、所長をやられまして山形大学の学長をされた地元の大学者でございまして、同時に財団法人電気磁気材料研究所の、これも東北というか仙台にあるわけですが、そこの理事長もされておるというふうに伺っております。  

山本貞一

1987-09-02 第109回国会 参議院 科学技術特別委員会 第3号

一方文部省の方は、これは大学先生中心研究者の個人の自由な発想を重視していわゆるアイデア合戦をするというようなたぐいの基礎的な研究を進めるということと同時に、例えば、大学の現在附置研でございます金属材料研究所というのが東北大学にあると聞いておりますが、そういうところを大学の共通の総合的な研究ができるような場に衣がえをするというような計画を進められるやに聞いております。  

川崎雅弘

1984-03-23 第101回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第2号

また、核融合炉として極限条件に耐えます材料開発することの必要性にかんがみまして、東北大学金属材料研究所核融合超電導材料実験装置整備を完了するとともに、日米科学技術協力事業一環として、昭和五十六年度に発足しました米国リバモア研究所のRTNSⅡによる材料研究につきましても、引き続き第四年次の照射実験推進することといたしております。  

河野石根

1983-03-04 第98回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第2号

また、核融合炉として極限条件に耐え得る材料開発することの必要性にかんがみまして、東北大学金属材料研究所核融合超電導材料実験装置整備を図るとともに、日米科学技術協力事業一環といたしまして、昭和五十六年度に発足しました米国リバモア研究所材料照射用加速器RTNSIIによる材料研究につきましては、派遣人員を増員して推進することといたしております。  

河野石根

1982-02-24 第96回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第2号

それから省エネルギー等研究開発推進に四億九百万を計上いたしておりますが、これは金属材料研究所におきます超電導材料研究開発、それから無機材質研究所におきます超高温耐熱セラミックス等開発等エネルギー関連材料研究開発実施するための経費でございます。また、自然エネルギー利用中心といたしました地域エネルギー総合利用実証調査に対しまして八千二百万程度の予算を計上いたしております。  

宮本二郎

1982-02-24 第96回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第2号

さらに、炉心工学分野研究といたしまして、東京工業大学原子炉工学研究所ブランケット工学計画を新たに発足させますほか、材料開発重要性緊急性にかんがみまして、前年度に引き続き、東北大学金属材料研究所核融合超電導材料研究計画、及び昭和五十四年度から実施されております日米科学技術協力事業一環といたしまして、米国リバモア研究所材料照射用加速器RTNSII利用した炉材料開発研究等協力計画推進

河野石根

1981-02-27 第94回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第2号

また材料開発緊急性重要性にかんがみまして、東北大学金属材料研究所超電導材料開発施設を新設いたしまして、ここに三カ年計画で五十六年度四億八千七百万円の大型設備設置経費を計上いたしますとともに、昭和五十四年度から実施されております日米科学協力事業一環といたしまして、米国リバモア研究所材料照射用加速器、これを利用いたしました材料研究協力計画、これを開始することとしております。

大門隆

1980-04-16 第91回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第9号

ただそれ以前に、やはり先ほどからも申し上げておりますように、自然エネルギー研究段階におきましては、たとえばいま科技庁傘下海洋科学技術センター波力研究開発をいたしておりますし、また理化学研究所におきまして、植物光合成機能を何とか人工的にできないかとか、あるいは注目されておりますアオサンゴ等炭化水素を出しますような植物研究でございますとか、あるいは金属材料研究所等におきまして、省エネルギー

園山重道

1978-04-18 第84回国会 参議院 内閣委員会 第7号

それから、金属材料研究所につきましては、本日御審議をお願いしておるわけでございまして、東京の研究所はまだ新しゅうございますが、一部場所が足りない、新しい研究に対応するためには場所が足りないということでございまして、当初から筑波に用地の確保を図ってまいりまして、最近建設が進んでその支部を建設をする、こういう状況になってきておるわけでございます。  

大澤弘之

1978-04-11 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

その間に、金属材料研究所としては一体どういう役割りを果たすべきかということを考えますと、やはりこれに対して対応の姿勢というのはとっておくべきである。非常につけ焼き刃で恐縮でございますけれども、たとえば核融合ということになりますと、プラズマの温度が一億度ぐらいになる。そういったものの壁面に五、六百度といいますか、数百度の熱に耐える炉壁が要る。

杉浦博

1975-04-01 第75回国会 参議院 文教委員会 第7号

具体的には、若干の例を申し上げた方がいいかと思うんでございますが、たとえば、東北大学金属材料研究所あるいは抗酸菌病研究所といったようなもの、東京大学にも東洋文化研究所社会科学研究所新聞研究所生産技術研究所と、もうたくさんこういったたぐいのものがあるわけでございますが、それらは、そこにその研究部門を担当しております研究者研党活動に従事しておるわけでございます。

木田宏

1974-05-08 第72回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第13号

ただ作業的に毎日試料を溶かし、毎日データをとっても、それがどう使われているかということが、やはりコンピューターと違って人間がやることですから、自分たちの出したデータがどう使われているかという、そのフィートバックがなければ――これは私、東北大学金属材料研究所あの現在世界最大といっていいほどの規模の研究所で、文化勲章を何人かの人が受章しております中のあの分析室というものを、終戦後しばらくまかされていたことがありましたけれども

塩川孝信